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これが現在のペルー国旗。
Pabellón Nacional(パベヨン・ナシオナル)と呼ばれるこの旗は、基本的に
公的機関のみ使用が認められていて、公的機関以外の使用は、国章が入
らない略式旗を使用するというのが、法律で定められている。
また、7月28日の独立記念日や、自治体または政府が掲揚を指示した場
合は各家庭での掲揚が義務付けられ、掲揚していない場合は罰金を取られ
ることもある。
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ペルー国旗を最初に考案したとされるのが、スペインからペルーを独立に導
いたペルー初代大統領ホセ・サン・マルティン将軍(José San Martín1778
〜1750)。
生まれ故郷のリオ・デ・ラ・プラタ副王領(現在のアルゼンチン)を解放した、
南米生まれのスペイン人独立指導者の彼は1820年9月7日、新たに解放
したチリからペルーに転じるために、リマから南に260kmのところにあるパ
ラカスに上陸した。
そして、浜辺の木陰で休んだサン・マルティン将軍は、夢の中で翼が赤く、
体の白い鳥が、辺りを舞っているのを見たとされ、それが国旗のデザインの
ヒントになったと言われている。
事実の真偽はさておき、この辺りには今もフラミンゴの生息地があることか
ら、恐らくこの鳥がモデルになったと推測される。 |
サン・マルティン生誕200年
(1978発行) |
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1820年10月21日、サン・マルティン将軍によって考案されたペルー最初
の国旗。
中央には、ローレルの葉飾りの中に太陽とアンデスの山、その下には静か
な太平洋を表した紋章が描かれている。 |
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1822年3月15日、それまでの国旗に代わって、議会で承認された国旗。
サン・マルティンがグアヤキルで、南米北部を解放した英雄シモン・ボリバル
(Simón Bolívar 軍人・政治家1783〜1830)と会談するため、ペルーを旅
立った後、トーレ・タグレ(Torre Tagle 軍人・政治家1779〜1825)によっ
てデザインされた。中央には太陽が表されている。
ちなみに、サン・マルティンは、シモン・ボリバルとの会談後、突然、ペルー
を去り故郷のアルゼンチンに戻ったあと、フランスに亡命している。この出来
事は、南米史の謎とされている。 |
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1822年5月15日、赤と白の横縞から縦縞に変更。
宗主国スペインの国旗の赤い部分も横縞であるということで、スペイン色を
ペルーから完全に払拭したかった為だと言うのが理由。
ここで赤い太陽も、より実物に近い黄色に変更された。 |
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1825年、シモン・ボリバルによって法律上制定された国旗。
中央は現在のペルー国章と同じで、盾の部分の左上はビクーニャ、右上は
キーナの木、下には金・銀貨が溢れる角飾りが表されている。 |
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1950年、軍人で第76代大統領であったマヌエル・オドリア将軍(Manuel
Odría 1897〜1974)の提案によって、議会で承認された国旗。
中央部分が、従来の国章から軍や治安機関等で使用される紋章(Escudo
de Armas)に変更されて、現在に至る。
この紋章の変更から、当時の軍事政権の支配力が伺える。 |
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公的機関が使用する現在の国章入り国旗とは別に、一般で使用される略
式国旗。バンデラ・ナシオナル(Bandera Nacional)と呼ばれている。 |